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読書感想文・・・非行 [趣味]

「神戸連続児童殺傷事件」この事件を覚えている方は少ないかもしれません。
1997・5・27に当時小学6年生だった男子を絞殺して、首を切り取って通っていた学校の門の前に置くという何とも凄惨な形で発覚した事件でした。
首を取りのいた状態で、学校の門がテレビに映されましたが、想像力をちょっと働かせると・・・見るに堪えない気持ちになりました。「何がどうなったの?」と疑問を抱きながらも不気味な感じでした。
その後。“酒鬼薔薇聖斗”の名前で犯行声明が送られてきます。尋常とは思えない内容ながらも、使われている言葉などから稚拙さは漂っておらず、メッセージ性を感じました。
現場での捜査はもちろんですが、この“酒鬼薔薇聖斗”の人定作業、犯行声明文の分析も進められていきました。そして、とある心理学者が「30歳前後」と見積もりましたが、蓋をあけてみれば14歳の少年でした。驚きました。後に本からの引用があったと知りましたが、当時は知らなかったので、全部オリジナルと解釈し「14歳の子供が、あんな文を書けるかぁ?」と。
更に、この少年は他にも殺人・傷害事件を起こしており、それらは「練習」の様なものだった・・・。この結果もセンセーションを巻き起こしました。
そうして、14歳の少年の犯行と明らかになってからしばらくして事件の事が新聞やニュースで取り上げられる事は少なくなっていきました。裁判の際に、ちょっと盛り上がりを見せましたが、如何せん少年事件。成人の刑事事件と同じ判断基準で裁かれることはなく「医療少年院送致」の判決でピリオドが打たと同時に、いつのまにか風化していきました。

何故、今の時期にこの事件の事を書くのか?特別な意味はありません。本棚を整理しながら「次はなんの感想文を書こうかなぁ」と思っていたところで目に着いたのです。

本を買ったのは、もちろん興味があったからです。当時、少年事件を扱っていた事から「この事件の動機が知りたい」と強く思ったのです。何が彼を「狂気に」導いたのか?その狂気がどうして、この一連の事件と言う形になったのか?本人と話したいほど知りたいと思っていました。

結論を書いてしまいますが、下記の二冊の本を読んでも“本人は自分の狂気に気が付いていた”事は分かっても、ハッキリとした動機は分かりません。
ただ「暗い森」の方は、新聞社の方が書いていますので、私情をあまり挟まず事件の流れを掴むことが出来ます。「どんな事件だったか」を知るにはいいと思います。私はこの本を読んで「あ、そういう流れだったのね」と分かりました。

二冊目の「少年A、この子を生んで」ですが。この本は“酒鬼薔薇聖斗”=少年Aの両親の手記ですが、メインは母親です。内容は、彼が産まれてからの育児日記からの引用で始まり、事件の頃までの彼と家族(やはり主に母親)との触れ合いが書かれています。事件に近い頃には、学校での生活に問題が生じてしまい、児童相談所にも訪れているのですが、本人の気が進まない事を理由に消極的な対処になっていた様な気がしました。それから、気になったのが彼が「ヒトラー」に興味を持ったから本を買い与えていた事です。ヒトラーは歴史に名を残す人物ではありますが、見習ったらいい部分は少ない様な、良い所を説明したうえでなければ13・4歳の少年には危険を伴うと思いました。
そして、肝心な所ですが「事件を起こしてしまった事」に対しては終始「分からない」の一言です。人を殺める前に夜間家を抜け出して猫などで実験していた事も全く気付かなかったと。死体を持ち帰って屋根裏に隠していたのに?疑問が残りました。

この様な古い本・事件を紹介して、時代遅れという言葉が聞こえてきそうです。でも、私は人間の本質はそうそう大きく変わるものじゃないと考えています。三大欲求はもちろんですが、喜怒哀楽もですよね。細かくいうと愛されたい・認めてもらいたい・理解してほしい・お金が欲しい・嫉妬・優越感を求める・ストレスを感じる・・・。ただ、その本質の出方が違ってきているだけではないかと。歴史は絶対に同じ形では繰り返されません。でも、何かを得ようと意識する事は出来ると思うので、書いてみた次第です。

※今は社会復帰をしている少年ですが、話をしたいと今でも思っています。





暗い森―神戸連続児童殺傷事件 (朝日文庫)

暗い森―神戸連続児童殺傷事件 (朝日文庫)

  • 作者: 朝日新聞大阪社会部
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 文庫



「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)

「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫)

  • 作者: 「少年A」の父母
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 2001/07
  • メディア: 文庫



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読書感想文・・・歴史 [趣味]


私が“歴史知らず”な事に見かねた母が貸してくれたのが、司馬遼太郎さんの“坂の上の雲”です。
小説か歴史書かジャンル分けは難しいです。単行本で全8巻です。

明治維新後、廃藩置県が終ったあたりから日清・日露戦争終了までの事が書かれていますが、メインは日露戦争です。そして主人公というよりは、軸をなしているのが“秋山好古(よしふる)と真之(さねゆき)兄弟と正岡子規”です。
正岡子規の存在に「どうして?」と思いますよね?実は秋山兄弟と同郷で親しくしていた事と、その短命な生涯をかけて“俳句会?に新風を吹き込んだ時期が被る”事から書かれたと思います。

学生時代に学んだ記憶では、日清・日露戦争は“日本の勝利”となっており、私は純粋に白黒ついた“勝ち”と解釈していましたが、読んでみると事情は違っていました。
日清戦争に関しては“勝った”と表現してもいいかと思いますが、日露戦争に関しては日本が勝ったのではなく極論ですが“ロシアが自滅した”という言葉の方がしっくりくると思いました。

そもそも両国は戦争に臨む姿勢・認識から違っていました。日本は自国の領土を侵略され、更に植民地とは行かないまでもロシアの隷下になることを恐れた、いわば“国の存亡を賭けた”戦争でした。
江戸幕府が倒れ初めて明瞭な”国家”が誕生し、それまでは“単なる農民”でも努力如何によっては他の身分にもなれるという、いわば“自分達も国民なんだ”という意識が出来つつあっただけに、開戦を迎えると国民もこの戦争を後押ししする風が吹き始めました。
しかしロシアは当時武力によって他の米欧国をけん制しながらも領土を奪っていたので“領土を増やすにあたって邪魔な猿軍団を排除しよう”というくらいの意識でした。それだけアジア・黄色人種が軽んじられており、欧州に立ち向かえるはずが無いと考えられたいたと言えます。この考えは欧州・英・米も持っていました。

実際、兵力・武器などだけにスポットを当ててみれば、陸海軍を比較しても勝てる見込みはなく、各首脳陣も戦争すると決めてからも「勝たなくてもいい。6分4分の状態で講和を成立させる事」を目標に挑みました。

以下、戦闘場面は必要以上に生々しくはありませんでしたが、ページとして先に書かれている“陸軍戦”では、読んでいて「どうして同じ事繰り返して死者を出すの?バカじゃないの?」と憤りを感じるくらいの肉弾戦の繰り返しがありました。そんな、明らかに修正した方がいい闘い方をしているのに“上官に意見できない”“恥をかかせるわけにはいかない”“個人の意志を押さえられない”といった「それどころじゃないだろう!」と叫びたくなる事態が多々ありました。

それに比べたら、海軍の方は幕僚間の風通しはいい方で、柔軟性もあったと思いました。敵の主力艦隊を何とか壊滅に追い込んだものの、後続の“バルチック艦隊”という“この艦隊を潰さなければ日本の勝ちはない”存在に脅かされ、常に上記の秋山兄弟の弟で“戦術の天才”と言われた真之を中心に眠る事も出来ないほど戦略を考え抜き各幕僚への伝達も比較的速やかに行われていました。

陸軍の事に戻します。上記の通り、条件では日本は断然不利でした。ただ、唯一の新規登用となった秋山兄弟の兄の好古の率いる“騎馬団”の働きが“未知数”であったので、本当なら騎馬団の使い方に対してもっと詰めておくべきであったと思います。ところが、“使った経験が無い”首脳部は価値を見出せないばかりではなく使い方を知ろうともしないまま好古に「お前に任す」と逃げてしまった様な状態でした。しかし、そんな事情を量れた好古は、誰に苦言を言うこともなく、頼ろうともせず、自ら研究をし・日本様にアレンジし・組み立てて戦争に向かったのです。
察するところ難くありませんが、好古騎馬団はいつも孤軍奮闘と言っても過言ではありませんでした。
戦闘中には参謀を持たされず、重要な事は全て自分で考え・決めるのをよしとし、その“天与の才”と、自ら言っていた“カン”で幾度かの窮地を乗り越え、最悪の事態を回避する事に多大なる貢献をしました。こう書くと真面目でストイックなイメージも浮かぶと思いますが、常に酒を切らすことなく、戦闘中でも水筒からラッパ飲みしていたという逸話があり、私は“人間臭さ”を感じ、好きになりました。

その後、陸軍は変わらず、無駄な作戦を仕掛けつつも、敵の司令官が軍人としてではなく人間としての“性格”から幾度かの日本を壊滅させるチャンスを見送ってしまった事で何とか目標だった“講和に有利”な状態まで持って行けました。
もう少し付け加えますと、大山・児玉両首脳が現実を見失わずも命を掛けての一か八かの賭けの連続でしたが、ロシアの上級官僚の、独裁制によくみられる“国を守るのではなく、いかに皇帝に良い評価をしてもらえるか”に価値観を置いた部分・革命の芽が噴出しつつあった国内情勢の助け、そして文中にもある“天佑”が日本を有利にしてくれたとも言えます。
この辺のあたりは“いかに優秀な人材・道具があっても、活かすも殺すも使う(指示する)人間次第”なのだなぁ~と痛感し、今も昔も変わらない事なんだと思いました。

留めは、先の“バルチック艦隊”を全滅させたことでした。世界の多くの国が“日本には無理”だと考えていたこの海戦。当時“日英同盟”を結んでいたイギリスが“史上初の試み”である途方もない長旅をしているバルチック艦隊に対して、息をかけられる場所には全て手を回して、燃料補給場所・兵を休息させる為の上陸を断るなど徹底的に邪魔をした事も大きなところですが、東郷司令官に戦術を一任された秋山真之が気が狂うほどの熟考を重ねて練り上げた作戦を司令官がしっかり指揮をしたことで、“戦闘開始直後の30分”で戦いは決まったようなものだたという大番狂わせを演じたのです。
少し行を割きますが、この“戦術の天才”と言われた真之ですが。彼もまた人を頼らず自らの努力でもって天与の才を昇華させたといえると思います。行動の面では、畏怖する兄に対して以外は無頓着と言うか思うが侭を振る舞う人間だったようです。しかし、裏腹に繊細な心の持ち主であったのか、凄惨な戦場を見れば見るほど心が壊れる思いを抱き、任務の重さと重なりその命を縮めていくのです。

バルチック艦隊の全滅を機に、当時「皇帝制は滅びる」と最初から日本が勝つと言っていた、アメリカのルーズベルト大統領が講和に向けて他国との仲介の労を取り、この戦争は終結しました。
しかし。そんな有難い存在だったアメリカに日本は完膚なきまでに叩き潰されるのです。アメリカ側にだけ責任があるのではありませんが、皮肉な事です。

本当は軍人になる気は全くなかったこの秋山兄弟。経済上の理由と時の流れで軍人になったようなものでした。しかし、繰り返しになりますが、二人とも勉強熱心だったことと、天与の才で認められ要職に就いたのです。
本来なら喜ぶところかもしれませんが、全部を読んでみると、この二人はどうだったのだろうと疑問を感じると共に、人の運命の数奇さを垣間見た気持ちになりました。

二人の戦後ですが。弟・真之は戦争で燃え尽きてしまったかの様に40代で無くなります。兄の好古は、70代まで生きますが、他の要人達とは違う“軍人を捨てた”道を選びます。

そして、最後の3行を読んで。「むごい」の一言でした。何度読み返しても他の言葉が浮かびません。肉弾戦で名もなき戦士として散った人々に対しては言うまでもありませんが、生きて残った身にまでも・・・。

頂上にはキレイな白い雲が浮かんでいるからと懸命に・ひたすら坂道を登って行ったものの、そこには白い雲どころか晴れた空さえなかった・・・戦争とはそんな事なのかもしれないと溜息で本を閉じました。









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